天皇誕生日 2012 12 23

2012年12月23日の時事通信社には、このようなニュースがあります。

天皇誕生日の一般参賀、皇居にて

 天皇陛下の79歳の誕生日を祝う一般参賀が23日、皇居で行われた。
宮内庁によると、記帳も含めて2万8065人が訪れた。
 陛下は、「これからも、東日本大震災の被災者のことを思いつつ、
国民皆の幸せを願って過ごしていくつもりです」と述べ、
日の丸の小旗を振る人々に笑顔で手を振って応えた。
(以上、引用)
 陛下は、自身の病気よりも、
東日本大震災の被災者のことを心配している様子です。
 陛下には、国民を守れなかったという悔しい気持ちが強いのでしょうが、
本来、そういう気持ちを持たなければならないのは政治家であり、
そして、被災者の心配をするのは、第一義的には、政治家の仕事です。
 陛下が、繰り返し、そういう言葉を言わなければならないということは、
政治家が政争に明け暮れ、本来の仕事をしていないことを意味しています。
 被災地の復興が、これほど遅れているのは、
「決断できない政治」を証明しているようなものです。
 私は、皇室の将来を考えています。
国家を支える柱は、二つあります。
「精神的な支柱」と「政治的な支柱」です。
 つまり、国家を支えるには、
「精神的な指導者」と「政治的な指導者」が必要です。
 もちろん、両方を兼ね備えることも可能でしょうが、
それは、現実には無理が出てくるでしょう。
 日本を支える「精神的な支柱」として、
天皇と皇室の末永い繁栄と発展を祈念します。

神道と皇室 2012 12 9

2012年12月9日の時事通信社には、このようなニュースがあります。

「皇太子妃の雅子さま、49歳に」

 皇太子妃の雅子さまは9日、49歳の誕生日を迎えられた。
宮内庁東宮職を通じて感想を公表し、
雅子さまは、冒頭で、
東日本大震災で困難な状況に置かれている被災者について
「思いを馳せない日はなく、とても心が痛みます」と言及されました。
(以上、引用)
 私は、皇室をめぐるニュースについて気にかけていますが、
ひとつ書いておきたいことがあります。
 それは、神道と皇室のことです。
天皇は、日本神道という宗教の中心に位置しています。
キリスト教で考えれば、ローマ法王に近い存在です。
 さらに、神道には、
儀式はあっても、教義はないと言っても過言ではありません。
だからこそ、神道では、儀式が重要となっています。
 そういうわけで、日本では、古来、
仏教や儒教を教義として輸入してきたのです。
近代日本においては、キリスト教でしょうか。
 このようなことを書くと、欧米人は驚くでしょうが、
神道とは、そういう宗教です。
このような形式を宗教学では、「重層信仰」と言うのかもしれません。
 中東では、キリスト教(ユダヤ教)とイスラム教の対立が続いていて、
「文明の衝突」とまで言われています。
 これは、見方を変えれば、「教義」同士の衝突とも言えるでしょう。
宗教の教義そのものが、ぶつかり合っていますので、
中東の平和は、遠いものがあります。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三つの宗教の教義を超える、
新しい宗教が出現しない限り、
あるいは、こうした宗教の教義を統合できるような新しい宗教が出現しない限り、
中東の戦いは、続くでしょう。
 神道の未来は、今のところ、わかりませんが、
神道に儀式はあっても、教義はなく、
仏教や儒教を教義として輸入してきた歴史が、
宗教戦争を防ぐための参考となれば、幸いです。
 さて、長女の愛子さまが元気になったと聞き、安心しました。
子供は、夫婦の心を写す鏡です。
夫婦関係が笑顔であふれているならば、子供は元気に育つでしょう。
 母親の葛藤は、子供の病気の原因となります。
子供にとって、母親の笑顔は、元気の源になります。
 子供は、母親の笑顔で育つのです。
難しい育児書は必要ありません。
 つらい時、悲しい時、笑顔は作れないと思うでしょうが、
それでも、子供は、母親の笑顔を待っているのです。
 皇室の末永い繁栄・発展を祈念します。
そして、雅子さまが、ご活躍する姿を期待しています。

ひとつの家 2012 11 24

 門は、たくさんありますが、
目指すべき家は、ひとつです。
 高い次元から見れば、
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、
中心の真理は、同じです。
 違いを探すのではなく、
共通するものを探すべきです。









































































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